Interview | Candoco Dance Company

カンパニーであることを問い直し、生態系をつくる

インタビュイー:Melanie Precious (Executive Director), Lucie Mirkova (Lead – Skills and Leadership), Will Bridgland (Producer)
実施日:2026年2月26日

Candoco が現在引き受けているのは、老舗カンパニーとしての歴史を保ちながら、自らの役割そのものを組み替える仕事である。差異がダンスの語彙を豊かにするという原点を持ちながら、いまは「誰が決めるのか」「誰を支えるのか」「カンパニーという形は何を可能にし、何を閉ざしてきたのか」を再検討している。

ここで語られていたのは、作品をどうつくるかだけではない。意思決定、雇用、支援、アクセス、評価の構造そのものをどう組み替えるか。Candoco の現在地は、インクルーシブダンスの老舗が、自分自身の権力構造を問い直すプロセスとして見えてきた。

差異が、ダンスの語彙を変える

Candoco の出発点には、障がいのあるパフォーマーが、世界水準の舞台にほとんど立っていないという状況への問題意識があった。だが、それは「障がいのある人にも参加の場を」という福祉的な発想だけではなかった。創設者にとって重要だったのは、異なる身体や動きが舞台に入ることで、ダンスという芸術形式そのものがより豊かになるということだった。

「Candoco は、障がいのあるパフォーマーが世界の優れた舞台にいないという状況から始まりました。
でも創設者にとって、それは参加の場をつくることだけではなく、ダンスという芸術形式をより面白く、豊かにすることでした。
違いがあることで、動きの語彙はもっと豊かになるのです。」

この原点は、いまの再編にもつながっている。歴史的には、主流の舞台へ作品を届けるために、非障がい者の著名な振付家を招くことには意味があった。しかし35年が経ち、他の団体も育ち、障がいのあるアーティストの存在や経験の多様さもより見えてきた現在、Candoco は問い直している。なぜ、自分たちは障がいのある振付家をもっと起用してこなかったのか。なぜ、カンパニーの中心にいるべき声が、意思決定の中心に十分入ってこなかったのか。

差異がダンスの語彙を変えるという原点を本当に引き受けるなら、その差異は舞台上の身体だけでなく、振付、キュレーション、リーダーシップ、組織運営の中にも現れなければならない。Candoco の再編は、その問いから始まっている。

芸術監督という機能を、分散する

Candoco は長く、二人の芸術監督とエグゼクティブ・ディレクターによる体制をとってきた。ただ、その形が必ずしも権力の分散になり得ていたわけではない。二人で役職を共有していたとしても、結局は「顔となる存在」や「中心に立つ人物」を求める構造を温存してしまう。さらに、レパートリー・カンパニーとしての Candoco では、芸術監督として招かれたアーティストが、自分自身の振付語彙を十分に展開できないというズレにも直面していた。

「芸術的な方向づけは必要です。
でも、それは従来のような一つの役職である必要があるのか。
私たちにとっては、芸術監督という機能は必要だけれど、その役割のあり方を見直す時期に来ていました。」

その背景には、芸術監督という役職そのものへの疑問もある。ひとりのカリスマ的な人物に、組織のビジョン、作品選定、資金調達、制度対応、人材育成までが集中すると、バーンアウトや離職が起こりやすい。Candoco は、インクルーシブであることを価値として掲げるなら、権力や資源の持ち方もまた問い直されるべきだと考えていた。

そこで出てきたのが、自分たちを創設者ではなく、継承者、一時的に預かっている者として捉える考え方だった。

「私たちは創設者ではなく、このカンパニーの継承者であり、それを預かる存在です。
リーダーが変わるたびに、Candoco とは何か、何を大切にしているのかが変わってしまうわけにはいきません。」

新しいリーダーが来るたびに組織の方向性が塗り替えられるのではなく、Candoco というレガシーを言語化し、その上で必要な再編を進める。そのために、Candoco は芸術監督という固定ポストを置くのではなく、キュレーション上の判断が必要なときに、都度判断の場(assembly)を組む方式へ移行しようとしている。

「キュレーション上の判断が必要になるたびに、必要な人が集まる判断の場を立ち上げることにしました。
その場に誰が参加し、どのような権限を持つのかを明確にするための規定も整えています。
さらに、障がいのあるアーティストとともに、作品や企画を選ぶ際の基本方針を言語化し、倫理的な判断の枠組みとあわせて公開する予定です。」

Candoco は、理念だけでなく、実装の仕組みまで組み立てている。誰が判断に参加するのか。どのような権限を持つのか。障がいのある声がどの程度入るのか。Candoco は、意思決定を属人的なものにせず、組織として持続できる形へと移そうとしている。

カンパニーから、生態系へ

もう一つの大きな転換は、決まったダンサーを抱えるカンパニーの形から、プロデュース組織へ移行しようとしていることだった。コロナ禍以後、Candoco はすでにダンサーをフルタイムで雇用する体制ではなくなり、プロジェクトごとの契約で作品を制作してきた。だが組織の発想としては、まだ「カンパニー」であり続けていたという。

「私たちは、まだ自分たちをカンパニーとしてイメージしていました。
でも、英国内でのツアー環境も難しくなるなか、毎年5人から7人のダンサーを雇うだけで、障がいのあるアーティストを取り巻く環境を本当に変えられているのか、という問いが生じてきました。」

選ばれた数人のダンサーだけが Candoco に入り、その人たちだけが機会を得る。そのモデルは、ある人にとっては大きな機会になる一方で、外にいる多くのアーティストにとっては、鍵のかかった扉にもなりうる。そこで Candoco は、自分たちが作品を所有するのではなく、障がいのある振付家やダンサーがより広い世界へ出ていくための支えになる方向へ舵を切ろうとしている。

「私たちはアンサンブル・カンパニーから、プロデュースする組織へ移行しようとしています。
これからは、障がいのある振付家を選び、その人が一緒に働きたいダンサーと作品をつくる。
鍵のかかった扉ではなく、回転扉のように、より多くの人が Candoco を通過し、外へ飛び立てるようにしたいのです。」

ここでの Candoco は、閉じた会社ではなく、生態系のハブに近い。デジタル・コミッション、レジデンシー、ポッドキャスト、若手支援、フェローシップなど、複数の入口が用意され、アーティストはさまざまな形で Candoco に関わることができる。

その中で象徴的なのが Candoco Fellow である。これは、障がいのあるアーティストが、給与を得ながら Candoco の内側で創作やプログラムに関わり、リーダーとしての経験を積むための仕組みである。単に一定期間滞在して作品をつくるアーティスト・イン・レジデンスではない。フェローは、支援を受ける対象であるだけでなく、Candoco の活動をともに方向づける存在として位置づけられる。

だからこそ、この制度はフェロー本人の学びであると同時に、Candoco 自身が、障がいのあるアーティストをリーダーとして迎えるための雇用環境やアクセシビリティのあり方を学び直す機会にもなっている。インクルーシブな実践を知っていることと、インクルーシブな職場を実際に運営できることは同じではない。その差分を、Candoco は自分たちの課題として引き受けようとしている。

開かれた場にも、見通しと規律が必要である

Candoco の話で興味深かったのは、アクセシビリティやケアについても、理想化しすぎない率直さがあったことだ。最新作の制作やツアーを通して、彼らは、アクセス・ニーズは重なり合うだけでなく、ときには互いに衝突することを強く学んだという。

「アクセス・ニーズは重なり合うだけでなく、ときには互いに衝突します。
私たちは世界をリードする組織だから答えを持っている、とは言えません。
分からないけれど、その都度ベストを尽くすのです。」

そのために考えられていたのが、collective access、つまりアクセシビリティの担保を一人の担当者だけに背負わせず、カンパニー全体で互いに気を配り合うという考え方だった。移動の負荷、休憩の取り方、日中のエネルギー管理、誰かが「休みたい」と言える空気。そうした実務の細部が、作品づくりと切り離されずに考えられている。

一方で、Candoco は「開かれた場」にも限界があることを学んでいた。前作では、すべてを民主的に、ケアに満ちた形で運営しようとした。しかし後の評価で、プロのダンサーたちからは、それがかえってやりにくい場面もあったという声が出た。

「すべてを民主的に、ケアに満ちたものにしようとしたことは、とても美しい考えでした。
でも半年後の評価の際に、ダンサーたちから、それは少し開かれすぎていたという意見があがりました。
彼らは厳密なスケジュールや見通し、プロとしての規律も求めていたのです。」

安全な場をつくることは、すべてを流動的にすることではない。むしろ、予定、休憩、負荷、求められることが明確である方が、安心して力を出せる場合もある。開かれていることと、見通しがあること。ケアと規律。Candoco は、その両方を同時に考えようとしている。

「質」を誰が決めるのか

組織再編の話は、最終的に「質」を誰が決めるのかという問いにもつながっていた。Candoco は、今後、大劇場だけでなく、小さな空間や非劇場空間でのプロダクションを支える可能性も視野に入れている。それは質の低下ではない。予算や会場の大きさが、作品の質を決めるわけではないからだ。

「重要なのは、芸術的探究の質です。
予算や会場の大きさが、質を決めるわけではありません。
どんな規模であれ、そこにどれだけ深い芸術的な問いがあるかが重要なのです。」

「質」を掲げるとき、そこには必ず権力の問題が生まれる。誰が質を判断するのか。長く権威のある場所にいる人だけが、良い作品を決めるのか。若いアーティストや、まだ見つけられていない障がいのあるアーティストの感覚は、どのように価値判断に入ってくるのか。

Candoco が、必要なときに判断の場を立ち上げたり、作品や企画を選ぶ際の基本方針を言語化しようとしているのは、この問いを一人の権威者の判断に戻さないためでもある。作品の質を大切にすることと、その質を誰が、どのような基準で決めるのかを問い直すこと。その両方が必要になる。

その文脈で語られていた、もう一つ重要な言葉がある。

「『障がいのある人によるダンス』は、ひとつのジャンルではありません。
私たちが障がいのあるアーティストを支えるのは、彼らが構造的な障壁に直面しているからです。
障がいのあるアーティストを、特定のジャンルとして囲い込みたいわけではありません。」

障がいのあるアーティストが、構造的な障壁によって見つけられず、支えられず、選ばれにくい状況がある。だからこそ、支援が必要になる。最終的に目指されているのは、障がいのあるアーティストが、特別枠としてではなく、芸術的な問いと実践によって選ばれ、支えられる状態である。

ここには、インクルーシブダンスをめぐる大きな緊張がある。特別な支援が必要な現実を認めながら、その支援が新たな別枠への囲い込みや固定化にならないようにすること。Candoco は再編を通じて、その緊張を避けずに引き受けようとしている。

リサーチメモ

Candoco の問いは、インクルーシブダンスを作品論から権力構造の問題へ押し広げていた。カンパニーを持つことは誰を支え、誰を外に置いてきたのか。芸術監督という役職は、誰の声を中心化してきたのか。質を決めるのは誰なのか。

これは単なる組織変更ではない。レガシーを手放さずに預かり直し、次の時代に向けて構造そのものを組み替える試みである。日本の現場にとっても、Candoco の問いは大きい。舞台上の多様性を本当に支えるには、インクルーシブな作品をつくるだけでなく、誰が決め、誰が支えられ、誰が次に進めるのかという仕組みそのものを変えていく必要がある。