翻訳の可能性

「実践のためのヒント」や「団体インタビュー」から少し角度を変え、ここでは言葉そのものに注目します。

英国の実践現場で使われていた言葉を、日本語にそのまま置き換えることは簡単ではありません。
一つの英語に、一つの日本語を対応させるだけでは、その言葉が現場で担っていた役割や、そこに含まれていた価値判断がこぼれ落ちてしまうことがあります。

ここで扱うのは、決定版の訳語集ではありません。
リサーチの中で繰り返し現れたキーワードを手がかりに、その言葉が現場で何をしていたのか、日本語でどう言えるのか、まだ言い切れないのはどこかを考えるためのコラムです。
翻訳を、「正しい対応語を決める作業」ではなく、実践を読み直し、考えをひらくための方法として置いてみる試みです。

読み方
ここにある日本語は、確定訳ではなく、考えるための仮の足場です。

・ひとつの英語に、ひとつの日本語を対応させない場合があります。
・訳しきれない部分や、あえて英語のまま残したい感覚も、そのまま記録しています。
・大事なのは「正しい訳」を決めることではなく、そのことばが現場で何をしていたかを考えることです。


■ 動きと美学を訳しなおす

インクルーシブな実践では、「同じように動くこと」よりも、何を共有するのかが問われていました。
外形を揃えるのではなく、異なる身体のあいだで、動きの意図や質感をどう受け渡していくのか。そのとき、翻訳は言語だけの問題ではなく、ダンスの美学そのものに関わってきます。

Translation
仮の日本語
翻訳/訳し直し/別の身体で立ち上げること

このリサーチで見えてきた意味

ここでいう translation は、言葉を別の言葉に置き換えることだけを指していません。ある身体から生まれた動きや意図を、別の身体、別の条件の中でどう受け取り直すか。その過程に近い言葉として現れていました。
Stopgap では、ひとりのダンサーの動きを他のダンサーがそのままコピーするのではなく、それぞれの身体でどう訳し直せるかが、作品づくりの重要な方法になっていました。言葉による説明だけでなく、身体を使ったデモンストレーションや、動きへの入り方をそれぞれが探す時間も、その翻訳の営みを支えていました。

なぜ訳しにくいか

日本語の「翻訳」だけだと、言葉から言葉への置き換えに聞こえやすくなります。しかし実際には、身体、感覚、関係、創作の条件をまたいで、動きや意図を受け渡すことまで含まれていました。

Texture
仮の日本語
質感/動きの手触り/呼吸や重さを含んだ感覚

このリサーチで見えてきた意味

Texture は、表面の見た目や触覚だけを指していたわけではありません。
Stopgap の文脈では、動きの方向、呼吸、重さ、速度、立ち上がり方のようなものを、どう共有するかに関わる言葉として使われていました。
共有されていたのは、完成した形ではなく、動きの手触りのようなものです。
同じポーズになることではなく、違う身体が同じ場面の中で、近い質感やエネルギーを持って踊ること。そのための手がかりとして、texture という言葉が働いていました。

なぜ訳しにくいか

「質感」と訳すと一応通りますが、日本語では少しきれいにまとまりすぎて、動きの力学や身体感覚の具体が抜けやすくなります。Texture には、見た目だけでなく、呼吸、重さ、方向、力の流れのようなものも含まれていました。


■ 言葉をひらき、存在を受け取る

場をひらくのは、制度や善意だけではありません。
どんな言葉で呼びかけるか、どんな返し方を認めるかによって、参加のしやすさは変わります。
言葉は、説明の道具であると同時に、場への入口をつくるものでもあります。

Open Language
仮の日本語
開かれた言葉/入り方を閉じない言い方/特定の身体を前提にしない言葉

このリサーチで見えてきた意味

Open Language は、単にやさしい言葉を使うことではありません。
ひとつの身体の動き方や、ひとつの理解の仕方だけを前提にせず、その人が入れる余地を残す言葉として使われていました。
Stopgap では、「床に触れて」と指示するのではなく、「今日の自分が行けるところまで下へ伸びてみる」というように、その日の身体に応じて選べる言い方がされていました。言葉が動きを決め切るのではなく、それぞれの身体が入れる幅を残していたのです。
BLINK では、「今日、自分に必要なこと」を示すボードや、物を使ったチェックインを通して、その日の状態を共有していました。声で説明しなくてもよい。言いたくなければ、言わなくてもよい。すぐに答えられなければ、あとで戻ってきてもよい。そこでは、言葉そのものだけでなく、応答の仕方も開かれていました。

なぜ訳しにくいか

「開かれた言葉」と訳すと、少し抽象的に聞こえます。
一方で「やさしい言葉」とすると、意味を簡単にすることだけに見えやすい。
Open Language が含んでいるのは、理解しやすさだけでなく、動きや応答の入口をひとつに決めないことでもあります。

Voice
仮の日本語
声/声を持つこと/見られ、聞かれること

このリサーチで見えてきた意味

Voice は、単なる発話能力でも、自己表現のスローガンでもありませんでした。
Magpie Dance では、「自分たちは声を持っているけれど、ケアホームにいる人たちの中には声を持てない人がいる」という言い方がされていました。そこでは voice は、話せるかどうかだけでなく、存在を認められること、見られること、聞かれること、そして声を持ちにくい人の経験をどう受け取り、届けるかということまで含んでいました。
公演の中で、ダンサー自身が「この作品は何についてのものか」を語る場面もありました。それは単なる説明ではなく、その人たち自身が観客の前で声を持つことの実践でもありました。

なぜ訳しにくいか

「声」とだけ訳すと、どうしても音声や発話に寄ってしまいます。
一方で「発言権」とすると制度的すぎますし、「表現する力」だと少し抽象的になります。
Voice が含んでいたのは、言葉を発することだけではありません。自分の経験が受け取られること、見えにくい存在が見えるようになること、そしてその声が作品を通して社会に届くことでもありました。


■ 安全と共同実践を支える

安全とは、単に事故を防ぐことではありません。
誰かが安心していられること、嫌だと言えること、必要な距離を取れること。
そして、場を開く側が、リスクや境界線を具体的に引き受けること。
インクルーシブな実践では、安全は「配慮」として後から足されるものではなく、創作や共同実践を続けるための条件として設計されていました。

Safeguarding
仮の日本語
セーフガーディング/尊厳と安全を守る実践/境界線を支えること

このリサーチで見えてきた意味

Safeguarding は、ぴたりと重なる日本語が見つかりにくい言葉です。
事故や危険を防ぐための安全管理だけでなく、誰かの状態や境界線を見落とさないために、場を開く側がどのような情報を共有し、どのような手順を持ち、どこで止めるのかを考え続ける実践でもありました。
icandance では、安全は、家族との対話、リスクアセスメント、空間のルール、個別の情報共有と結びついていました。自由に見える場にも、必要なときには止める判断や、保護者と一緒に計画を立てる手順がありました。Magpie Dance でも、距離の取り方や境界線、声を持つことが、創作とファシリテーションの中で扱われていました。
安全は、挑戦を避けるためのものではありません。むしろ、安心して試すために、どこまで進めるか、どこで止めるか、誰と確認するかを具体的に考え続けることでもありました。

なぜ訳しにくいか

「安全管理」では、事故防止やリスク管理に寄りすぎます。
一方で「保護」と訳すと、守る側と守られる側の関係が固定され、一方向的に聞こえやすい。
Safeguarding が含んでいたのは、身体の安全だけではありません。
尊厳、境界線、同意、拒否、離脱の自由、そして本人の声をどう守るかまで含んだ、場を続けるための実践でした。

Co-delivery
仮の日本語
共同進行/共同で場を動かすこと/支え合いながら場を成り立たせること

このリサーチで見えてきた意味

Co-delivery は、一人が教え、他の人が補助するという構図とは少し違います。
複数の立場の人が役割を分かち持ちながら、ひとつの場を成り立たせることに近い言葉として使われていました。
DanceSyndrome では、アーティスト育成プログラムの定期セッションを、複数のダンスアーティストが分担して支えています。彼らは、定期的なミーティングで全体の流れを確認しながら、それぞれの回がばらばらにならないように進めていました。
ここで大事なのは、Co-delivery が「全員で同じことをする」ことではない、という点です。
場を進める人、支える人、全体を見る人、参加者の状態を受け取る人が、それぞれの役割を持ちながら関わる。その分担があることで、ひとりの声やアイデアが場の中で生きるようになります。
“iCreate” では、このことが特にはっきり表れていました。一人のダンサーが振付を担うとき、周囲のダンスアーティストは、その人のアイデアや判断が作品に反映されるようにプロセスを支えていました。誰かが主導する場面でも、その主導が孤立しないように支えること。それも、Co-delivery の一部として考えられていました。

なぜ訳しにくいか

「共同進行」だと、会議やワークショップの進行役のように聞こえやすくなります。
一方で「共同実施」だと、役割を分担して実行するだけの言葉に見えやすい。
Co-delivery は、ただ一緒に進行することではありません。
誰か一人が場を背負うのではなく、参加者の状態を見ながら、支える人、促す人、流れを保つ人が役割を分かち持つ。そのようにして、場そのものを共同で支えていくあり方として見えてきました。

Emotional Safety
仮の日本語
感情的安全性/情緒的に安心できる状態/安心して挑戦できる土台

このリサーチで見えてきた意味

Emotional safety は、ただ穏やかな雰囲気をつくることではありません。
icandance では、それはすべての出発点として語られていました。安心していられるからこそ、その日の気分や身体の感覚を少しずつ表に出し、他者と関係を結び、新しいことにも向かっていくことができます。
そこで大切にされていたのは、挑戦を避けることではありません。
むしろ、挑戦できるようにするために、まず情緒的に安全でいられる場をつくることでした。ダンスパートナーとの一対一の関係、輪になって場を保つこと、スタッフ全体で空間を支えること。そうした関係の積み重ねが、子どもや若者が表現し、試し、人前に立つための土台になっていました。

なぜ訳しにくいか

「心理的安全性」と訳すと、日本語では組織論や企業研修の言葉に聞こえやすくなります。
しかし、ここで語られていた emotional safety は、頭で理解する安心というより、身体で感じられる安心や、一対一の関係の中で少しずつ育つ安心に近いものでした。
自分の身体の状態を受け止めてもらえること。近づきすぎず、離れすぎず、必要な距離で関われること。挑戦するときにも、ひとりで放り出されないこと。そうした条件まで含んでいました。


■ 判断と文化を組み替える

インクルージョンは、理念だけでなく、誰が判断に関わり、どこに権限や資源が置かれるかにもあらわれます。
ひとつの役職や制度を置けば済むのではなく、必要に応じて判断の仕組みそのものを組み替えていくこと。
その実装のあり方も、今回のリサーチで見えてきた重要な論点でした。

Assembly
仮の日本語
アセンブリ/判断の場/必要に応じて立ち上がる協議の場

このリサーチで見えてきた意味

Candoco が使っていた assembly は、単なる会議体ではありませんでした。
背景にあったのは、アーティスティック・ディレクションを、ひとりの役職や特定の人物に集中させないための組織の再編です。
Candoco では、固定的な芸術監督職を置くのではなく、キュレーションに関わる判断が必要になったときに、その都度、必要な人たちが集まり、意思決定を行う場として assembly が構想されていました。
定例の会議というより、判断が必要な場面ごとに立ち上がる仕組みに近いものです。
そこで目指されていたのは、リーダーシップをなくすことではありません。
判断の機能を一人の役職に預けず、複数の声や経験が関わる形に組み直すことでした。

なぜ訳しにくいか

「会議」では軽すぎるし、「協議体」だと行政的で硬く聞こえます。
また、定例の組織や委員会のように捉えると、Candoco が試みていた柔軟さが抜け落ちてしまいます。
重要だったのは、ただ人が集まることではなく、必要な判断ごとに、誰が関わり、どの権限を持つのかを組み直すことでした。
ここでは、「判断の場」や「必要に応じて立ち上がる協議の場」として捉えています。

Equitable Culture
仮の日本語
一人ひとりに応じて組み替える文化/必要に応じて支え方を変える文化

このリサーチで見えてきた意味

Equitable Culture は、「誰でも入れる」というだけでは届かない部分を指していました。
全員を同じ条件に置くのではなく、この人には何が必要か、この人はどんな働き方や支え方なら力を発揮できるのかを、その都度考えて組み替えていく。そうした日々の判断の積み重ねが、文化として語られていました。
Stopgap では、長期雇用、継続的なカンパニークラス、必要な支援者の配置、ツアー時のサポート、若いダンサーの進路づくりなどが、その文化の中にありました。誰かを既存の仕組みに合わせるのではなく、その人が働き、踊り、学び続けられるように、仕組みの方を少しずつ調整していく。その考え方が、作品づくりや組織運営の土台になっていました。

なぜ訳しにくいか

「公平」と訳すと、全員を同じ条件に置くことに近づきすぎます。
しかし、ここで語られていたのは、全員を同じように扱うことではなく、必要に応じて条件を変えていくことでした。
働き方、支え方、訓練の時間、進路のつくり方、必要な人員や資金をどう配分するか。そうした日々の調整の積み重ねの中に、この言葉の意味がありました。


ぴたりと重なる日本語が見つからないことは、失敗ではありません。
その見つからなさの中に、まだ言葉になっていない実践の厚みがあります。
このページは、その不足を埋めるための辞書ではなく、ことばを探し続けるための仮の足場として置いています。